2013年7月31日水曜日

民度【国語担当】

京浜東北線で、ホームに落ちた女性を救出しようと、
駅員の指示のもと乗客一丸となり、32tもある車体を傾け、
救助したというニュース…中国の新聞紙上で
「日本人の民度は、恐ろしいほど高い」と謳われた。
いや、東日本大震災の時、世界中を感服させたあの映像
…商品が置き去り状態の店舗・家電製品置き去りの住宅
それを盗む人がいない(何日経過しても…)。
日本人の民度の高さを象徴する出来事として語られている。

民度…特定の地域に住む人々の知的水準・教育水準・文化水準
行動様式などの成熟度を指すもの。
主に、メディアで語られる時に使うことが多い。
高いと称賛される民度の元となるのが、日本人の根幹に流れる精神だ。
「助け合い」「譲り合い」「気遣い」の文化。
長い間、培われてきた高い道徳性…「魏志倭人伝」にも
それを示す記述があるというのだから、年季が入っている!
すべて、集団志向型社会には、欠くことのできないものだ。
更に歴史を重ね、武士の精神・進取の精神(他国の影響)
均等レベルの教育の普及。そして、根底には、高い道徳性と
秩序が、連綿と受け継がれている。
ちょっと誉め過ぎであろうか…。

しかし、ザックジャパンの本田選手が物申したように…
「チームワークは、日本人なら当たり前!個の力を育てないと勝てない!」
安倍首相も唱えている…個人主義や独創性を育てる必要性。
日本人の特徴を表す諺に「出る杭は打たれる」とか「長いものには巻かれろ」
「雉も鳴かずば撃たれまい」なんていうのがある。
「杭、どんどん出ろ!とにかく出ろ!まず出ろ!」
「長いものには、巻かれるな。とりあえず巻かれるな!」
「雉、撃たれて本望!」みたいな?!

2013年7月27日土曜日

蛍鑑賞【数学担当】

今年も上高地へ行ってきた。昼間は軽い登山をし、温泉宿に止まってゆっくりするというのが
ここ数年の夏の楽しみになっている。
宿のすぐそばに、蛍が観られる場所がある。これがまた、楽しみの一つ。

蛍といえば、夏の風物詩のように思われるけれど、実はその時期はもっと早く
今年の千葉での出現予想は5月中旬だった(ウェザーニューズより)。
近所で見られる蛍の見物スポットとしては、船橋市運動公園。
5月の下旬に無料開放していたみたい。
盛夏の頃に、浴衣を着てうちわ片手に蛍狩りっていうのは、
私の中で作り上げていたイメージだったようだ。
私が子供の頃には、近所の川に、それこそ星の数ほど飛び回っていて
ときどき家の中に迷い込んだ蛍を、電気を消して楽しんだりしたものだった。
あれって、夏だったという記憶があるんだけど…
実家の父に確認してみたら、涼しい福島と言っても7月の上旬にはもう
数が少なくなってくるらしい。
今年の上高地はめずらしく、7月中旬だったけれどまだ蛍をみることができて
でも、すっかり元気をなくしているらしく、ちっとも飛び回っていなかった(>_<)
じ~っと、はっぱにくっついている光っている蛍っていうのは初めてみたな~。

実家の蛍も、一時期は河川整備や水質低下でいなくなってしまった。それを
地域の人たちが川をきれいにする取り組みをして、また戻ってきてくれた。
私の住むこの地域にも、蛍が観られる場所があるといいな~。

というわけで、旅行で散財してしまったので、土用の丑の日のウナギはなし。
まったく土用には関係のない餃子を作って食べました(-_-;)



2013年7月24日水曜日

土用の丑の日【国語担当】

日本では、土用の丑の日に暑い夏を乗り切る栄養をつける為に
「うなぎ」を食べる習慣がある。
今では「土用の丑の日」は、ちょっとした
「うなぎ(を食べる)お祭り」…みたいになっている。
「うなぎ」はいつ頃から食されていたのだろうか。
徳川家康が江戸を開拓した際、多くの泥炭湿地ができ、
そこに「うなぎ」が棲みつくようになり、労働者の食べ物と
なったようだ。しばらくして、濃口醤油が開発され、「うなぎ」を
タレで味付けして食べるようになった。
蕎麦ほど徹底した美学はないものの、「うなぎ屋でせかすのは野暮」
(注文があってから、ひとつひとつ裂いて焼くため、時間が
かかるから)…蒲焼がでるまでは、新香で酒を呑む…江戸っ子に
とっては、一家言ある食べ物であったのだ。
日本人は「うなぎ」が大好きである。
世界の「うなぎ」の半分を日本人が消費しているほど。
しかも、大都市・高所得者・高齢であればあるほど、
多く消費されているそうな…。

私の田舎は、山間の小さな町であるが、なぜか一軒だけ
「うなぎ屋」があった(現在は廃業…)。
土用の丑の日には、うな重の出前を注文し、皆でうな重を食べた。
今ほど高級品ではなかった時代。
子供心にも「美味しい」と思った。
「どじょう鍋」の見た目とは違い(形が違うからか?)、
目の前にあるうな重と、生きた「うなぎ」の姿が容易に結びつかず
食が進んだ! (丸焼きだったら、キツかったかも…)
今や、国産の天然うなぎは絶滅危惧種に指定されている。
養殖ものも、消費量には追いつかず、高値の一途。
安価な中国産で妥協するか?!
庶民の身分ではあるが、年に一度の「お祭り!」と、
今年も、清水の舞台から飛び降りた私である。

2013年7月17日水曜日

多浪を語る【国語担当】

昔々、戸籍に登録された地を離れて、他国を流浪している者の
ことを意味し「浪人」と呼んだ。現代においては、就職や進学先が
決まっていないのに、卒業した人の総称。
「学生浪人」とは、現役(高校卒業見込み年度)時に、第一志望に
合格できなかった等の理由により、受験生の延長戦を戦う者たちのこと。
※ケース…①第二志望は合格したが、第一志望に合格できず、「浪人」となる者。
②受験した大学全てに不合格(全落ち)し、自動的に「浪人」となる者。
③私立専願で私立大へ進学するつもりであったが、不況等の理由により、
私立大へ進学できなくなり。「浪人」せざるを得ない者。
④一度社会人になったが、再び受験生となる者。
※形態…①自宅浪人(宅浪) ②予備校生 ③仮面浪人(他大学に
通いつつ、第一志望の大学への合格を目指し勉強するもの)
「浪人」する学生の推移…1985年は、2.6人に1人の割合だったが、
2011年には、7.7人に1人(13,3%)と激減。大きな理由は、
少子化や入試方法の多様化により大学受験そのものが楽になっていること。
「浪人」のデメリット…お金がかかる。志望する大学に合格できる保証はない。
所属組織がない不安定な身分である。そして何より、浪人生活中の
精神面での疲労は半端ない(落ちる夢を何度もみる)。
夢破れれば、結局「お金と時間の無駄」ってことになる。
「浪人」のメリット…「背水の陣」という真剣勝負感が、日々を充実させる。
世間に対する後ろめたさ・挫折という経験・より高い志望校への志→
浪人生同士共有できる。そして夢叶った時の達成感は、格別だ!
 
「浪人」して志望校に合格するのなら、皆「浪人」する。
でもなぜしないのか? それは、確信がないからだ。
浪人するにあたり、自分の能力的な問題を再考すべきである。
他の人は3年(高校生活)で受かるのに、なぜ自分は4年必要なのか。
十分勉強したと思うのなら、その大学に入る学力がそもそも足りないのではないか。
だとすると、「浪人」は無謀な試みということになる。
明らかにスタートが遅かった・個人的な問題で勉強に集中できなかった・
地方出身(地方の公立高校)ゆえに、都内の中高一貫校との教育レベルの
差による敗北…という理由なら、希望はある。しかし、それ以外なら
生涯にわたるデメリットを増やすだけではないだろうか。
で…「多浪」とは、三浪以上を指す。なぜ「多浪」になるのか?
諦めきれない・今更やめられないからだ。医学部受験生に多いパターン。
そして、その末路は…塾講師と言われている。

2013年7月13日土曜日

意志が強いのか【数学担当】

先週末、長男が卒業した高校の役員の集まり(飲み会)があり参加した。
受験から2年が過ぎ、浪人していた子たちも決着がついたでしょ、ってことらしい。
14人参加でうち浪人生が3人。そして3人とも今春大学の門をくぐった。
そのうちの一人は昨年から東大を目指していたけれど、今年別の国立大学へ入学した。
多浪を避けたんだろう。
そういえば昨年早稲田に合格したけれど、仮面浪人をして今年東大を受けるって
噂のあった彼は、まだ早稲田に通っていた。
国ちゃんのいうように、浪人しても合格する保証はない。しかも、厳しいデータが
出ているみたいだし…。おそらく予備校はその辺を把握しているよね。
だから、多くの子供たちは、合格が出たらそこで決着をつけるのだろう。

飲み会の場で、昨年も今年も東大のみ受験。合格が出なかったので今年
二浪目に入った人がいると聞いた。
ある意味それってすごいと思う。そこまでストイックになれるのか。
これで来年合格がでなかったとしても、きっと彼の意志の強さはどこかで
生かされると信じたい。
友人の一人で、東大を目指して多浪。3年目か4年目くらいで妹と受験が一緒になり
さすがにあきらめ、合格していた慶応に入学したという人がいる。
その彼は今ではかなりのお偉いさんになって、たまにTVなんかに出たりしている。
東大に合格はしなかったけれど、浪人したことも決して悪いことではなかったと思う。
出身大学が東大だったらカッコいいけど、そうじゃなくてもカッコいい生き方をしている
人間になりたい。子供たちにもね。

2013年7月10日水曜日

多浪【国語担当】

関西地区では人気だった(過去形)タレントY(52歳)が、
東大目指して現在七浪中…。この件に関して、Yが、
ナイナイのトークバラエティーで是非を問われていた。
テレビ番組がきっかけで東大受験にはまった(?!)らしい。
Yには奥さんと娘さん(19/学生)がいて、家族は受験を
応援しているようだが、家中、重要語句の張り紙だらけで、
Yの受験に振り回されている感有り。
Yは、勉強に専念する為、仕事を減らし、収入は10分の1に。
そして、受験勉強費用は、なんと年間500万!
7年目でセンター690点まで辿り着いた」と誇らしげに語っていた。
コメンテイターの意見は賛否両論だった。
私の心に残ったのが、塾講師/M先生(女性)の意見。
「国立大学は、国が高度な専門知識を持った研究人材を国策的に
養成していく必要性から設立されたもので、そこで学んだ者は、
社会に出てから(様々な分野で活躍し)国家に貢献しなければならない。
あなたの年齢では、卒業してから、国家に貢献できる年数は幾年もない!
そして、きついことを言うが、センター/900点満点で、現役で満点とる子が
ほとんどの世界。あなたには無理。自己満足。東大依存症。
あなたは、家族の為にあなたにしかできないことをすべき!」って。

実際、七浪で690点はキツイ(最初は0点だったらしい)。
東大の場合、比重の7割は2次試験の記述にかかっており、それは、
解答のみならず、その解答に至るまでの正確な過程や考察も答える問題が
非常に多く、より高度な学力が要求されるものだ。
要するに合否を大きく左右するのは二次試験。
二浪以上は、東大卒でも就職が難しいらしい。更に、三浪以上だと
大学院に進み、研究者になるしか道はない。浪人しても受かる保証はない。
東大は現役合格率70%、一浪で20%だ。つまり、浪人すればするほど
受かり難いってことだ。
Yは「東大」というブランドにこだわっているだけ。
っていうか、受験勉強に依存しているだけ。
900点取れたら、満足して二次試験受けにいかないのでは?
私がYの娘だったら、「お願いだから、普通に働いて!」って言っちゃうな~。

2013年7月6日土曜日

小さな種をまく【数学担当】

国ちゃんの紹介していたTVは見逃したのだけれど、話はちらっと耳にした。
結構話題の番組だったのかな。
普段のH先生の授業は結構厳しいらしいね。
でもって、すごく丁寧に課題添削をしてくれるらしい。
成績のいい子供たちが選抜されて、カリスマ先生に教わったら
結果がでないわけがない。ますます、株は上がる。
ましてや、生徒たちは一言も聞き逃すまいと真剣に聞いてくれるもん。

一般的にこんなことは起こりえないわけで
大抵の場合は、先生が生徒に選抜(好きとか嫌いとか)されちゃう。
でもって、いつも「勝てる場所で戦っている」わけではない。
「お母さんに言われて仕方なく来てる」「あ~めんどくさい」ってなってることも多々あり。
とすると、授業の効果がなくなってきて結果がでなくなる。
そこをいかに「いい授業しているか」とわからせるかということも、テクニックである。
(もちろん、教え方がプロであることは前提)

昨日息子が学校から帰ってくるなり、先生に褒められた、と喜んでいた。
なにやら(テスト前なので)質問に行ったところ「よくやってる!」と言われたらしい。
イヤイヤ、テスト前くらいは質問するでしょ、と思ったんだけれど
さすが先生、ツボを押さえてる。
以前は「教え方がクソみたいにへたくそ」って悪口言ってたくせに
急に「いい先生だ~」ってなってる。
これでちょっと先生が好きになって、さらにその教科が好きになってくれれば
先生の手の上で転がされているってこと。
こんなちっちゃなきっかけが、いい関係を作れるんだから
いろんな種はまいておかないといけないな…なんて思ったわけです。

2013年7月3日水曜日

無力【国語担当】

有名講師…といえば、とある番組で東進ハイスクールの
H先生とY先生が「ヤンキー」(高校中退or中卒限定)相手に
授業を行う、という企画があったが…見ました?
とりあえずは「退出者」を出さず、少しでも心に響けば「勝利」
ってことらしいけど。(そういう意味では両先生とも勝利!)
とにかく今や、押しも押されぬ大人気の先生なので、
お二方の講座を受講できるのは、希望する限られた生徒のみらしく、
H先生に至っては、我が家の不肖の息子は、成績が足りず
受講できなかった…という苦い経験を持つらしい(情けない…)。
本来であれば、大変「有り難い/光栄」なお話。しかし、残念ながら
準備してきた授業はできなかった。しかもY先生の時は、メンツが…
完全に戦闘モードだった。教室に入った瞬間「ヤバっ!」と思ったはず。
「人って一時間であんなにやつれるものなんですね」
というゲストのコメントが痛々しかった。
H先生流にいえば、「勝てる場所で戦え」に反した場所での戦い。
それでも何人か心に響いたヤンキーもいたようだ…それで十分。

明治初期、ハイカラに対するアンチテーゼとして創出された粗野や
野蛮の総称を「番カラ」といい、その気風がライフスタイルや
ファッションに独特の影響を与え、学生間で流行となった。
1970年代「ツッパリ」(主に関東地方での呼称)に変化。女性を
「スケ番」。改造バイクで走り回る「暴走族」なんていうのも生れた。
1980年後半から「ヤンキー」に変化(関西ではツッパリ時代に
すでにヤンキーの呼称)。…周囲を威嚇するような強そうな格好をして
仲間から一目おかれたいという少年少女…の総称らしい。
2000年に入ると、ヤンキーの美学である反知性主義・村的発想(集団主義)
ヤンキー的気合主義の廃れから、自然消滅の一路を辿り、「ギャル男」と
呼ばれる人種へと劇的な変化を遂げている。
※「暴走族」は警察による取り締まりの厳しさと、不況の影響(
バイク購入不能)で壊滅状態。
久しぶりに見たリーゼントやしらす眉…ヤンキーの残存を再確認!
でも…やるなら「授業を受けたいヤンキー」に限定すべき。
受講した「ヤンキー」たちのあの姿勢は、両先生に失礼極まりない!
先生たちも…こんな仕事を受ける必要はない!と思った。
(私の心には十分に響いたけどね…)